院長のコラム第82回 第100回全国高等学校野球選手権記念大会
第100回全国高等学校野球選手権記念大会がいよいよ8月5日から始まります。1915年全国中等学校優勝野球大会として始まり、太平洋戦争中の4年間の中止後、戦後1946年に再開され、1948年から学制改革で全国高等学校野球選手権大会と名が変わり、現在に至っています。幾多の名勝負があり、人々に強烈な記憶を残してきました。
100回大会を記念して、甲子園レジェンド始球式が行われます。始球式は8月5日開会式日の松井秀樹(星稜高)に始まり、21日決勝戦日に太田幸司(三沢高)・井上明(松山商)で終わります。18人の選手が並んでいます。私より年上は中西(高松一高)、板東(徳島商)、安仁屋(沖縄)の3人です。思いつくままに印象に残った選手の思い出を書きます。板東といえば村椿、剛腕三振奪取王、安仁屋・実力で南九州大会を勝ち抜いて出場、応援の指笛、平松・夏は一回戦で散ったなー、定岡・脚が長く、アイドル、石井(簑島)・嶋田のバッテリー、サイドスローで緻密なコントロールの投手、牛島・ドカベン、バンビの坂本、やまびこ打線の水野・タフだったなー、桑田といえば清原、応援の人文字、三沢高校最終回満塁、惜しかったなー、松井は5連続敬遠四球、明徳義塾馬淵監督の「高校生の中にプロ野球の選手が1人いた」の談話も印象的でした。一人だけ知らない選手がいました。本間篤史、マー君と同時代の駒大苫小牧の主将・4番でした。彼だけ21世紀の選手で、残り17人は20世紀の選手でした。
球児の溌剌とした、ひたむきなプレーが人々に大きな勇気と感動を与えることを祈っています。「平和だから野球できる(8月3日朝日新聞)」今年も、いっぱい楽しみたいと思います。
<追伸1>
なんたる幸運、星稜高校、8月5日開幕戦を戦います。星稜選手も松井もわくわくでしょう。
<追伸2>
松井 始球式後述談「甲子園の魔物に襲われた」。見事なワンバウンド投球でした。