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コラム

院長のコラム第30回 体内季節時計―春を待つ心

3月11日5時、福と一緒にいつもの散歩に出かけました。いつもの広場につくと、水たまりが凍っています。吐く息は、白く長いのですが、風はなく寒くはありません。2月中は、皮手袋、軍手の2枚重ねでも冷たかった手が、軍手だけでも冷たくありませんでした。出勤の時、自動車の寒暖計を見ますと、-3度です。なんで、こんなに違った感じなのかなーと考えてみました。第一は、日の出が6時30分ごろとなり、トワイライトが、暖かさを醸し出しているのだと思いました。

体感温度をウィキペディアで調べてみました。
体感温度とは、人間が肌で感じる温度の感覚を、数値に表したものである。おおまかには気温であるが、実際には湿度や風速等によって影響されやすく、例えば風が強いときほど体感温度はさがる。したがって、気温をそれらの数値で補正する。ただし、体感温度に対する湿度や風速の影響は、服装・体格・日照などさまざまな要因により異なり、一定ではない。

書かれていることは、理解できます。風が強くなれば、冷たくなる、風の無い雪の日は暖かい(雪国の人しかわからない)、放射冷却のときは冷え込むなど、いろいろな気象の経験が言われています。が、まてよ、と思いました。服装、体格、性別などの人側の要因の中に体内時計があるのではないか、そう季節を待つ体内時計が動き始めたから、寒さをあまり感じなくなってきたのだと思い至りました。
いろいろな事柄が、私たちの五感を刺激します。「蕗の薹が顔をのぞけた」「福寿草が咲いた」「会陽が過ぎたら、備前平野に春が」「梅の開花前線の北上」、春の歌も聞こえてきます。「早春賦」「春」「うれしいひな祭り」、小鳥の声も次第に多く、また騒がしくなってきます。野球のオープン戦、サッカーの開幕の便りにも心が浮き立ってきます。

動物が冬眠から覚めるごとく、私たちの体には春を求める「体内季節時計」があるのだと思います。

<追伸>
私の心を浮き立たす言葉は、“球春”です。