院長のコラム第55回 宝物
皆さんには、それぞれいくつかの宝物があると思います。
私の宝物の一つは、昔の新聞記事のコピーです。
「中学時代、花川さんはあの平松(第37回高校野球選抜大会優勝投手、プロ野球で201勝)と投げ合った」と、折おり言われました。そんな事実は無いのですが、あえて一回一回否定するのも煩わしいと思ってきました。
森安(日比中、関西高校から東映フライヤーズに入団、パリーグの新人王獲得)と松岡(倉敷西中、倉敷商高、三菱自動車水島、プロ野球ヤクルト 191勝)とは投げ合ったことはありましたが、平松投手とは投げ合ったことはなく、彼は高梁中学の強打の一塁手?と言う認識でした(ある情報から、そう思い込んでいました)。ですから、「県北西部の高梁中学の平松一塁手を、なぜ高校野球の名門岡山東商がとったのか?」という疑問がずっとありました。
過日、矢掛中学同窓会に出た時、仲間が「志郎さん、優勝した時の記事があるけど、いるか?」と問いかけてきましたので「いる」答えました。
後日その記事のコピーを送ってきてくれました。昭和36年11月3日、11月8日の山陽新聞のスポーツ記事でした。第3回岡山県中学校秋季野球大会の記事(①)です。この大会で優勝(記事④)したことは覚えていましたが、新たな発見がありました。
平松投手がこの時高梁中学のエースで大活躍していることです。一回戦で、その頃私が最強と思っていた倉敷西中(当時、県N01大源投手を擁し、松岡投手は遊撃手で4番です)に2対1で勝ち(記事②)、準決勝で日比中(対戦相手は森安投手です)を1点に抑えています(記事③)。全然知らなかったことです。「これなら岡山東商が取りに行くわ」と納得しました。
平松、松岡、森安(同級生になります)の3大投手と一緒に載った記事は私の宝物です。
<追伸>大学に入り、硬式野球部に入部、2年生の春に、その頃三菱自動車水島でエースだった松岡投手と練習試合で対戦しました。丁度プロ野球に入る前です。直球は速くて見えず、ドロップは頭の上から、膝下まで鋭く落ちてゆく感じで異次元・別世界でした。
「高校野球に進まなくてよかった」と、つくづく思いました。