院長のコラム第45回 野球少年の心
「走りたい 気持ちがあるね。走ってみたい そのひと言」
これは、NHKテレビ番組≪スーパースター長嶋茂雄~野球人生のすべてを語る~≫で有働由美子アナウンサーがした最後の質問「79歳の今の夢は?」への答えです。私は、68歳、長嶋世代です。私たちの子供の頃、野球が最もポピュラーなスポーツでした。その最大のスターは、長嶋茂雄でした。当時、背番号3は野球少年の憧れでした。
番組を紹介します。
野球の始まりは、母が作ってくれたボールでした。野球で母を喜ばせたいという気持ちが長嶋さんの原点であったそうです。東京六大学通算ホームラン新記録8本の実績をもって、巨人に入団しました。契約金は、巨人が最も安かったそうです。新人開幕戦、国鉄金田投手との対戦、4打席すべて三振に打ち取られましたが、決して下を向きませんでした。打撃よりも、守備を重視し、ゴロの取り方に十数種類あり、スローイングも歌舞伎を参考にしたという話は、「魅せる長嶋」の真骨頂のように思いました。フライを取ることには、何の面白さもないと言った時には、思わず笑いました。天覧試合のさよならホームランをはじめ、その後の活躍は国民を勇気づけ、感動を与え続けました。
昭和49年、「わが巨人軍は、永遠に不滅です」の言葉を残して引退しました。巨人軍監督時代も、つらくとも、明るく爽やかな長嶋さんを貫いています。バットスイングは音が最も大切だと強調し、彼しか分からない感性かと思いました。
2013年には、松井秀樹と共に、国民栄誉賞を受賞しました。野球の努力は、決して人に見せるものではないという信念は、プロとして当然かなーと思いました。
しかし、脳梗塞に倒れた後、身体障害、言語障害の残る体で、病気に立ち向かう闘志、そしてリハビリテーションを中心にした闘病の姿を、同じ病の人達を励ますために見せるのだという強い意志に感銘をうけました。
最後の言葉を聴いた時、
≪あの、長嶋さんが「走りたい、走ってみたい」≫と・・・・・、
野球少年の心そのままだと思いました。