院長のコラム第11回 愛燦燦
先日テレビ歌謡番組で、小林旭が、<昔の名前で出ています>の詞の誕生の話を楽しそうに語っていました。「星野哲郎先生が、なじみの銀座のホステスが地方にいるという話から、この詞ができたそうです」
そういえば、<愛燦燦>も、秘話があったなーと思い出しました。
雨 潸潸(さんさん)と・・・、風 散散と・・・、愛 燦燦(さんさん)と・・
この歌が味の素のコマーシャルソング(1987年)であったことを知ったのは、朝日新聞 Be(2010年12月11日)の記事でした。紹介しますと
ホリプロの若き映像プロデューサーIさんはまず、コマーシャルに使う映像をハワイで撮影し、その映像にふさわしいコマーシャルソングを考えていました。作詞・作曲は、以前仕事を組んだ小椋 佳と決めていました。歌手は誰にするか? 「和田アキ子?、森昌子?、石川さゆり?・・・・・」どうしても、この映像に合わない、映像の中の大家族を支える気丈な母親像には、美空ひばりしかいないと考えました。日本の大歌手、昭和の大歌手美空ひばりに無謀にも、依頼しましたが、最初は良い返事が貰えませんでした。とにかく、ひばりさんにこの映像を見てほしいと頼み込みました。しばらくして、「ひばりがあの映像をすごく気に入っている」との返事があり、歌手が決定しました。すぐ小椋 佳に作詞・作曲を依頼しました。最初の曲は、テンポが軽やかで、もっと包容力がほしいと、没、2作目を待ちました。できたのが、あの名曲<愛燦燦>です。
レコーディングの秘話がおもしろく書かれていました。
ひばりのレコーディングは昼間と決まっていたそうです。愛燦燦に先立って、アルバム「旅ひととせ」のレコーディングがあった時の話です。小椋 佳は当時売れっ子の作詞・作曲者でしたが、まだ第一勧業銀行に勤めていました。昼間は当然“おつとめ”です。
ひばりは録音直前の作家の意見を大切にしていたそうです。
ひばりは不機嫌に「なぜ、作家(小椋 佳)が来ないのか?」と担当者に尋ねました。担当者が「おつとめです」と返事、ひばりは「大変なのねえ」と、気の毒そうな顔をしたそうです。ひばりは、小椋が銀行員であることを知らず、“おつとめ”を刑に服する意味に誤解したのです。10日後の愛燦燦のレコーディングンは、彼に合わせて、ひばりには異例の夜間にしたそうです。
歌は、その誕生の背景を知ると、味わいがより深くなります。
《後日談》ひばりの息子さん、加藤和也さんの話。
「母はこの歌を、大変気に入っていました。歌手ひばりの我が無い。何のこだわりもない。ただ自然に自由に歌っている。僕はあの歌におふくろの加藤和枝を感じます」
<追伸>
味の素 愛燦燦 美空ひばり で検索、you tubeでこの映像をお楽しみください。